昨年台湾に渡り台湾の球団、味全ドラゴンズ(うぇぃちゅあん)に「選手権コーチとして」現役復帰していた、ムネリンこと川崎宗則内野手ですが、今季の契約で合意に至らなかったと言う報道がありました。
今後がどうなるのか気になります。
台湾球団 味全って?
味全ってなんて読むの?
台湾の球団、味全って初めて聞いた方もいるのではないでしょうか?
味全と書いて、”うぇぃちゅあん”と読むらしいです。”味全龍”と書いて「うぇぃちゅあんドラゴンズ」です。台湾には現在味全を除いてプロ野球の球団が4球団あります。
チームロゴは中日ドラゴンズと同じく、チームカラーは赤です。背番号はソフトバンク時代と同じ52番( ムネリン、赤いユニフォームがよく似合っていました。)
味全とは台湾プロ野球リーグ(CPBL)に所属する球団です。 1990年CPBL発足当初のチームで初年度に優勝しています。味全は台湾の食品企業です。
その後1997年から1999年まで3年連続優勝を果たしますが、1999年のシーズン終了後に突然解散を発表します。
当時の球団会長・魏應行(1998年に味全食品を傘下に収めた頂新グループ創業者一族のひとり)が一方的に解散を宣言します。ファンは球団存続を求める署名活動を行ないますが、魏應行は聞き入れず、1999年シーズン限りでチームは解散となってしまいました。
しかし、昨年再び2019年6月24日に再加盟。
2021年からリーグ戦に参戦することになっています。
そこへ、川崎選手が選手権コーチとして復帰します。
両者とも「復帰・復活」という共通点があり川崎自身にとっても「ふさわしいチーム」っだと言われていました。ムードメーカで明るい性格の”ムネリン”は台湾の人々からも歓迎されていていいムードでしたが・・・
台湾球界から歓迎されていたムネリン
どこに行っても愛されキャラのムネリンは台湾でも歓迎を受けていました。
現地メディアには「実績十分。話術もすばらしい」と好意的に見られていたそうです。
もちろんそんな意見ばかりではなく、「ベテランでブランクもある。選手で結果を残せるか」と言った声もあったそうですが。
本人も「ファンミーティング」で台湾語を披露し積極的に打ち解けようとしている姿勢がよく出ていました。そして、彼の話す台湾語は日本人がカタカナ読みをした発音ではなく、耳で覚えている印象を受けるそんな発音でした。語学のセンスもあると言われているだけあって本人もこんなことを話しています。
川崎選手は台湾メディアのインタビューにも
「英語はもう忘れましたから、今の時代は台湾語です」
「野球はもちろん天才なんですけど、台湾の言葉とかそういうのを覚えるのも天才だと思います」
と話していたそうです。
(ちょっと調子に乗っていますね)
台湾語を覚えて現地に溶け込もうとしているだけじゃないんです。
台湾の人たちからもすでに人気があり、「ムネリン応援歌」というものが作られていました。
日本語で「かっ飛ばせ!カワサキさん♪」と歌いながら踊る台湾のチア軍団がかわいかったです。
また、他球団も川崎獲得に向けて検討していたようで、
獲得を見送った経緯を報じられた統一には、ファンから批判も巻き起こったほど。味全は既に川崎グッズを発売。台湾で外国人の1軍出場枠は3人、契約期間は3カ月程度と短いことが多い。途中での契約解除も珍しくなく「こんなに早くグッズが作られる助っ人がいたか」と報道陣も驚く。
CPBLからは「日台野球の懸け橋になれる選手」との期待の声も聞こえてくる。ともあれ「目いっぱい台湾の野球を楽しもう」と言う川崎。 引用:西日本スポーツより
グッズや応援歌も作られ、自身も早くなじもうとしていました。
順調に台湾球界で活躍していくのだろうと思っていた矢先、「退団濃厚」との報道には何があったのか気になります。
どんな経緯で台湾野球界に行くことになったの?
川崎宗則内野手、2017年、1月まではアメリカの球界で活躍されていましたが、シカゴ・カブスとの契約が自由契約となったことを契機に日本の球界に戻ってきます。
日本へ戻ってきたものの古巣ソフトバンクでの活躍は思うようにはいかず、ケガや自律神経の病気に悩まされます。
2017年シーズンは上記の怪我での離脱もあって、試合数は42試合にどどまりました。また、体調不良を理由にソフトバンク優勝祝賀パレードやファンフェスティバルなどの行事には参加しなかったそうです。
その後2018年自由契約という形でソフトバンクを退団します。「自由契約という形で野球から距離をおいてみようと決断しました」と本人自身の口から語られ、再び自由契約の身になってしまいます。周囲からは引退の2文字が囁かれました。
本人も、病気の影響か「身体を動かすのも拒絶するようになってきた」と語っており、野球選手としてのトレーニングもほぼしてない状態と言われていました。
それが2019年、突然台湾での球界復帰を果たすことになり、周囲を驚かせます。
川崎選手は台湾に行くことになった経緯をこのように話しています。
川崎氏は「友達から台湾で野球あるよと教えてもらって。友達2人のおかげです。今回、その2人の大事な友達が紹介してくれました」とその経緯を明かした。前日12日にはトレーニングで汗も流したようで、野球人生の思い出について問われ「たくさんいい思い出があるんですけど、今の1番が昨日の室内練習場でいい感じで打てたこと」と語った。
「試合出ますよ。でも、コーチなんで偉そうにします」と語り、集まったファンの爆笑を誘った川崎氏。「僕はいつも野球が大好きなんです。楽しむことが1番だというのは忘れない。楽しむことを教えていきたい。でも、僕がまずは台湾で野球を楽しもうと思っています」とも話し、ファンからも歓迎の大きな拍手を浴びていた。
上記のコメントからもすっかり、心身ともに復活したように思えた川崎選手。コーチ兼選手と言っても、「選手として9割、コーチとして1割でやりたいと思います。」と抱負を語っていましたし、台湾でもう一度好きな野球に関わりたいという気持ちが感じ取られます。
それがなぜ、再契約の合意にならなかったのでしょうか?
今後どうなる?ムネリン!引退か?
突然の退団報道、今後の動向が気になります。
2月5日の西日本スポーツによると
昨年、台湾プロ野球(CPBL)の味全で兼任コーチとして現役復帰した川崎宗則内野手(38)が今季の再契約で合意に至らなかったと5日、複数の台湾メディアが報じた。
報道によると味全の呉徳威ゼネラルマネジャー(GM)は今季、川崎が選手、コーチのいずれでも味全に所属しないことになったと説明。昨年同様に兼任コーチの契約を打診したが、川崎は選手での契約を希望したという。味全は今後も関係を続ける形を模索しており、同GMは川崎と会うため今月中に来日するとも語ったとした。2018年3月にソフトバンクを退団した川崎は、昨年7月に味全に加入。年末のアジア・ウインターリーグにも参加したが、故障の影響もあり出場2試合だった。 引用:西日本スポーツより
少ない情報ながら、この記事の内容から推察すると、川崎選手は兼任コーチの契約の打診を断り、選手としての契約を希望とあることから、
兼任といえど中身は実質コーチのみの契約なのか?→コーチ契約?が嫌。
兼任ではなく選手のみで活躍したいのか→兼任は嫌?
のどちらかなのでしょうか?それとも他に身体面での理由があるのでしょうか?
そうだとすると、今後ムネリンを野球選手として目にする機会がなくなりそうです。
ですが、「今後味全は関係を続ける形を模索している」との事ですので、もしかしたら何かよい報道があるかもしれません。
「同GMは川崎と会うため今月中に来日する」予定ですので、中旬以降進展があるかもしれませんね。