こんにちは!
ちょっと前からから気になっていたんですけど
フィギュアスケートを見ていて、
羽生結弦選手の横に”いつもの整体のおじいさん”
(失礼…菊池トレーナー)がいなくなっているんですよね。
どうやら、辞められたみたいですね。
そこで今回菊池トレーナーについて書いていこうと思います。
羽入結弦選手の専属トレーナ菊池晃さん
「チーム結弦」を離れたのはいつ
羽生結弦選手の専属トレーナーとして有名な菊池晃さん。
チーム結弦を離れたのはもう2年前の話だそうです(気付かなかった)
平昌オリンピック後も羽生選手から、
『先生、これからもよろしくお願いしますね』と言われたそうです。
ですが、菊池トレーナートレーナを退くことを決めていました。
理由は当時62歳だった年齢です。
フィギュア界のトップを走り続ける羽生選手の足を引っ張りたくなかったそうです。
「五輪直後、『先生、これからもよろしくお願いしますね』と結弦は言ってくれました。でも、足を引っ張りたくなかったんです。結弦は最高の演技のために、1分、1秒も狂わないような、完璧なルーティーンを組んでいます。ただ、僕は、それを調整するトレーナーとして年をとり過ぎました。まだまだ進化していくあいつの足をひっぱりたくなかったんです」
菊池トレーナ、羽生選手のことを”あいつ”と呼んでいるんですね。
なんか、年の差を感じない言い方ですね。
画面的には祖父と孫みたいですけど(あっ失礼しました)
羽生選手が幼少期から頼りにする存在
菊池トレーナとは羽生選手にとってどんな存在だったのでしょうか?
ソチオリンピックの入場の時、羽生選手の横にぴたりとくっついて、
怪しげな雰囲気を漂わせているご老人を「この人誰?」と思った人、少なくないと思います。
なんか素人ぽさがありましたよね。
当時は菊池トレーナーに羽生選手が洗脳されているなど、素性がイマイチはっきりと説明されてなかっただけにいろいろ言われてましたが、
菊池トレーナーは、羽生選手が8歳の時からお世話になっている整体師の先生で、
(ちょっと怪しげに見えますが)競技前後の身体のメンテナンスをする羽生選手が頼りにする専属トレーナーだったわけです。
帯同を頼まれたのはソチオリンピックの時
菊池トレーナが初めて試合に帯同したのは、 2014年のソチオリンピックの時だそうです。
それ以前も羽生選手は国際試合に出られていましたが、菊池トレーナの帯同はありませんでした。
初めての帯同がオリンピックの舞台なんて、すごいですね。
しかも「スポーツトレーナーの経験があるわけではなく」
普通の整骨院の整体師さんがオリンピックの入場行進に出場していたら、
そこを利用していたお客さんもびっくりしたでしょうね。
そんな話はともかく、それ以来菊池トレーナーは数々の国際試合に帯同することになりました。
トレーナーとして失敗の連続
菊池トレーナー、ソチでは初めての帯同で失敗の連続だったそうです。
「トレーナーである僕は大失敗の連続でした。いつも、結弦は1日1回練習します。ところが、ソチでは、1日2回ずつリンクを滑っていたのです。テーピングはスケート靴を履くことに毎回巻き直しますから、練習の多い分、日本から持っていったテーピングがまたたく間に不足してしまったんです」
ケガの予防や保護のために関節や筋肉に巻くテーピングは、トレーナーにとっては生命線。まさかの事態に、菊地さんはソチ中の薬局やスポーツ店を駆け回り、英語とジェスチャーを交えて、なんとか入手することができたのだが……。
試合への帯同経験がなかっただけに、予期せぬ出来事に出会い、なんとかやり遂げた印象です。
そんなトレーナとして課題の残ったオリンピックの舞台だっため、
菊池さんはメディアからの取材もみっともなくて引き受ける気にならなかったそうです。
「ソチ五輪後、メディアから取材依頼がきたが、自分の失敗を考えると、みっともなくて受けられなかった」という菊地さん。そんな姿が謎めいて見えたのか、一部のマスコミから「怪しげな整体師」「チャクラの仙人」などと呼ばれ、「羽生を洗脳している」と報じられたことさえあった。でも、そんな雑音は新しい目標の前に気にもならなかった。 出典:女性自身
平昌オリンピックの時は
前回のオリンピックの時から4年。
あれから、菊池トレーナーも数々の舞台で羽生選手と共に経験を積み、
またトレーナとしても研究を重ね、一から勉強をし直してきたそうです。
東洋医学からアーユルヴェーダ、タイ古式マッサージ、古代ギリシャのユナニ医学など。
役に立つと思われるものは何でも勉強したそうです。
そのかいあって、平昌ではご自身の納得がいくサポートができたと話されています。
「ソチのときは何度もテーピングを巻き直しましたが、平昌のときにはつねに一回で完璧な状態で巻き終えられるようになりました。ウォーミングアップも練りに練って、結弦の表情や体の調子をみて、メニューの内容を微妙に変化させるようにもした。でも、あいつがすごいのは、ちょっとでもメニューの時間を変えたりすると、『先生、いつもより長くない?』とわかるんですよ(笑)」
平昌後も羽生選手から『先生、これからもよろしくお願いしますね』
と言ってもらえたそうですが、ご自身の年齢のことを考えて、
これ以上はトップアスリートについていけないと思われ、ご勇退に至ったそうです。
まとめ
ソチオリンピックの時は、菊池トレーナ、初めての帯同だったからか、なんとなく素人ぽさが出てました。
どちらかというと、ペンダントだったり、パワーストーンといったものを使って、精神面のサポート役が彼の役割だったような気がします。
もちろん、ケガを防ぐための身体面のサポートもされていたでしょうけど…
幼少期から見続けてくれている先生と言いうことで、羽生選手から絶大な信頼を寄せられていたのではないかと思います。
15年間という長い年月を、トレーナーとしてサポートしてきてお疲れさまでした。