こんにちは!
今日は、ずっと気になっていたマラソンの解説でおなじみ瀬古利彦さんに注目してみました。
瀬古さんって正直、どれだけすごいのか分からないけど、男子マラソンの解説者としていつも登場してくる人物です。
瀬古利彦さんの子供時代から早稲田大学まで
子供の時の夢は野球選手
瀬古さん、子供のころの夢は「プロ野球選手」だったそうです。
アニメ「巨人の星」の星飛雄馬に憧れて、
「将来は野球選手になりたい」と思っていたそうです。
中学に入ってからは、ピッチャーとして甲子園を目指していました。
それがどうして、マラソンを目指すようになったか?
星飛雄馬に憧れて・・・
アニメ「巨人の星」の星飛雄馬に憧れて、野球選手になることを夢見ていた中学時代。
「巨人の星」に影響されまくっていました。
アニメの中で、星飛雄馬の父親の星一徹が「野球で上手くなりたかったら走りなさい」という言葉を信じて、「野球選手になるには走ることが大事なんだ」と思いこみ、
小学生の時は、自宅から学校までの道のり往復3㎞を、
中学では、学校まで5㎞あったので、往復10㎞を部活が終わってから走っていました。
凄いですね。憧れの人物が言う言葉は、たとえアニメであっても力があります。この時の「毎日走り続けた結果」今の瀬古さんがあるといっても過言ではないですね。
憧れの人がいるって、人生にとって大きい!
走ってみたら早かった?
中学になって野球部に入り甲子園を目指し、毎日走り込みをしていた瀬古少年に転機が訪れます。
中学1年生の時に、「校内の5キロ走大会」で優勝したのをきっかけに、陸上の大会に出てみないかと「陸上部」に誘われます。試しに出てみたら見事優勝してしまいました。
これをきっかけに、「自分って足が速いんだ」と思い、「陸上に向いているのかもしてない」と思ったのが陸上選手を目指すようになったきっかけだそうです。
先月東京マラソンで優勝した大迫傑選手も、元々は野球をやっていて中学でマラソンに変更という同じようなプロセスでした。だいたい子供の時は男の子は「とりあえず野球」なんですかね。
高校・大学と陸上で活躍
そんなこんなで陸上を始めた瀬古少年でしたが、高校進学は何と「陸上競技の強豪校・四日市工業高校」へ入学します。
高校時代も輝かしい成績を残し、大学進学は当時の中央大学への進学※1が決まりかけますが、早稲田のOBの勧誘を受けへ早稲田へと一般入試で受験します。
結果は不合格。一年浪人して翌年合格します。晴れて早稲田大学の競争部へ入部します。
そこで、またもや2度目の転機です。恩師の中村監督に出会います。
※1 こう見えて瀬古さん(失礼)大学進学時、ほとんどの大学から勧誘が来るほど、高校時代の陸上での成績が良かったそうです。誘われなかったのは東京大学と慶応大学だけだったとか。
ほぼすべての大学から勧誘があるなんて、それくらい実力ある選手だったんですね。
中村監督との出会い
早稲田の競争部へ入部して、瀬古さんを待ち受けていたのは、中村監督という恩師でした。
この中村監督少し変わった監督でして、指導方法も独特でしたがとにかくスパルタでした。
選手を長時間戸外に立たせたまま、陸上とは直接関係のない仏教やキリスト教などを引用した講話を人間教育の一環として行うことも珍しくなかった。また、ヱスビー食品所属の選手は中村の自宅に同居させて選手寮代わりとし、生活の細かな点まで管理を行った。
出典:wikipedia
そんな中村監督との出会いで、それまで「マラソンでの目標が定まっていなかった」瀬古選手はメキメキと実力を伸ばし、箱根駅伝では4年連続花の2区を任されます。
3・4年時には「区間新」を出すまでに成長しました。
その後の活躍をざっとまとめます。
大学卒業後は、ロサンゼルスとソウルの2度のオリンピックに出場しています。
結果は思うように出ませんでしたが、国際大会を3連勝するなど一時は「瀬古フィーバー」が起きるほど、人気があったそうです。
現役引退後は、古巣の「ヱスビー食品」で監督を、「早稲田大学」でコーチなど選手育成に力を尽くしてきました。
ここ15年ほどは「マラソン大会での解説者」としておなじみになってきました。
バラエティ番組などにも出演し、いい味を出しています。
番外:奥さんとの馴れ初め
瀬古さんの1984年のロサンゼルスオリンピック後に結婚されています。
実は奥さんとの馴れ初めは当時の監督※2が募集した「お見合いがきっかけ」でした。
瀬古さん、ロサンゼルスオリンピックに出場しますが、念願のロサンゼルスオリンピックでの、成績は14位という結果に終わります。
「日本に帰ったら、バッシングにあうかもしれない」という覚悟の下で帰国するも全然叩かれなかったそうです。それは中村監督が「瀬古のお見合い相手を募集します」いう別の話題を振りまいていてくれたからだそうです。その言葉がきっかけで瀬古選手の婚活が始まりました。
※2 恩師中村監督(早大監督であり、エスビー食品の監督でもあった)
お見合いを何度か繰り返し、最終的に瀬古さんのハートを射止めたのは、当時幼稚園の先生をしていた、美恵さんという25歳の女性です。1984年11月6日に婚約発表しそして結婚しました。
早っ!オリンピックが終わって日本に帰国するのって、8月の末ぐらいだと思うんですが、そこから、2か月あまりでお見合い・婚約をしています。
夫婦仲…今は妻と一緒に社交ダンス
そんなお見合いでスピード(?)結婚された瀬古夫妻ですが、とても夫婦仲がいいみたいです(子供さんも4人の息子さんがいるみたいです)
瀬古さんも奥様に
「現役時代・監督時代妻が子育てをしながら全力でサポートしてくれたので、今度は私が恩返しをする番だと思います。最近は妻と一緒に趣味を楽しむ時間を大切にしています」
出典:ゆうちょの年金ライフブック 2019年冬号
と奥様への感謝の言葉を述べています。
そして、奥様の趣味に合わせて「社交ダンス」を始めたそうでもう3年もしているんだとか。
他にもジャズを一緒に聞きに行ったり、バンドを組んで演奏したりと奥様との時間をとても大切にされている様子です。
実際、「妻と共通の趣味を持って楽しむことが、私の元気の源になっています」と語っていました。
瀬古さんがこんなに愛妻家だとは思ってもみませんでしたが、仲のいいご夫婦っていいですよね。
瀬古さんの語るマラソンの見どころ
瀬古さんのマラソンの見どころは「ラスト3㎞が見どころ。日本の大会では蒸し暑さに負けない精神力も試されると思います」と語っていました。
まとめ
解説者としておなじみ瀬古利彦さんですが、マラソン界のすごい人ということくらいしか知りませんでした。「けっこうすごい実力の持ち主」だ言うことがわかり、これからマラソンで瀬古さんが出てきた時の見る目が変わりそうです。
あと、瀬古さんをみていると憧れの人を持つことって大事ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。