瀬古利彦さんの現役時代の活躍と「ノルウェイの森事件って?」

瀬古利彦さんの現役時代の活躍と「ノルウェイの森事件って?」

桜とマラソンランナースポーツ
この記事は約7分で読めます。

こんにちは!

今日は3年も前の話ですが「しくじり先生」に出ていた時の瀬古利彦さんのおはなしです。

瀬古利彦さんのマラソン人生

瀬古さん2度もオリンピックに出場しているのに、思うように結果が出ませんでした。

そのわけを「しくじり先生」の中で語っていました。

子供のころの夢は野球選手

中学生のころはアニメ「巨人の星」を見て将来は野球選手になるのが夢だったそうです。

野球選手になりたかった瀬古少年は、「巨人の星」の中のセリフに影響を受けます。

「野球で強くなりたかったら走りなさい」

瀬古少年は、その言葉を信じて、くる日もくる日も毎日走り続けました。

自宅から学校までの距離を毎日毎走っていると、陸上部の顧問に声をかけられます。

「助太刀として陸上大会に出てくれ」と。瀬古少年は陸上大会に出た結果、県の新記録を出して県大会2冠を達成してしまいます。

こうして陸上部の助太刀で出た大会での好成績で、自分が陸上の方が向いていることに気が付きます。これが陸上人生のが始まりになります。

その後、高校進学では陸上の名門四日市工業高校に入学します。

高校時代も数々の大会で好成績を出しました。

大学進学時には、多くの大学からスカウトがきてましたが、瀬古少年は父親とも話し合った結果早稲田大学への進学を希望します。当時はスポーツ特待生制度がなかったため一般入試で試験を受けますが、結果不合格でした。

初めてのしくじりです。

不合格の原因は・・・部活に没頭するあまり肝心な勉強はしてなかった・・・

(そりゃ受かるはずありません)

大学受験失敗してアメリカ留学へ

その後、瀬古青年は1年間の浪人生活をすることになりました。その間、瀬古青年はなぜかアメリカ留学をします。

そこでもしくじります。

瀬古青年、アメリカでホームシックになり「アイスやハンバーガーばかり食べていた」そうです。

気づくと、渡米2か月で10㎏増。食べることでストレスを解消していたんですね。

さらに留学でできた、金髪のガールフレンドとディスコ通いに明け暮れていたそうです。

瀬古さん当時のことを振り返り「英語は話せないけど男と女はアイコンタクト」だそうです。

そんな調子なのでアメリカで陸上の試合に出ましたが結果は惨敗

ここで学んだ教訓は

「コツコツ積み上げてきた努力も気を抜けば一瞬で堕落する」

今まで向かうとこ敵なしの状態だったわけですから、初めて味わった陸上での挫折感だったのではないでしょうか?

その後必死に勉強して一浪の結果、見事早稲田大学に進学します。

そこで運命の人との出会いが待っていました。

早稲田大学で中村清監督と出会う

大学に進学して、陸上部の監督中村清さんと出会います。

ちょっと変わった監督でした。こんなエピソードがあります。

中村監督が早稲田陸走部監督に就任したときは、当時の早大陸上部は不調続きだったそうです。
就任のあいさつで中村監督は選手にこう語りかけました。「一生懸命指導するからついてきてほしい」と。
それを聞いていた部員たちはゲラゲラと笑い出したそうです。そこで監督はこう続けました。
「昔は随分、後輩を殴った。しかしこれからは、めったに鉄拳制裁はしない。ただ、どうしても1つ2つ殴りたくなったら、まず自分自身を十も二十も 殴ってからやる。これ、この通りだ」
と就任あいさつの場で中村監督は自分の顔を血が殴るまで殴り続けました。

それを見ていた部員たちはまるで狂人でも見るかのように表情が変わりました。

もちろんこうした中村監督の行動を見て、それまでなめ切っていた部員たちの態度も一変したことは言うまでもありません。

また、「お前たちがどんなに苦しくても頑張る、という情熱を取り戻してくれるなら、俺はなんでもやる。草を食え、砂をなめろというなら、その通りにする」
と言って、地面の草を引き抜いて食べたそうです。

中村監督は当時、血圧250、血糖値300という状態で糖尿病を患っていました。にもかかわらず部員の練習の間は、たとえ土砂降りの雨でも雪が降っても、何時間も立ち続けたまま練習を見ていたそうです。

そんなエキセントリックな中村監督に見初められた瀬古青年はみるみる才能を開花させていきました。

厳しい練習にも音を上げず頑張った結果大学2年時には福岡国際マラソンに出場して、日本人最高の5位という成績を残しました。

中村監督との出会いで、瀬古さんの考え方は変わりました。それまで「大学時代は1回箱根に出て、女子と合コンしてればいい」そんな甘い考えだったのです。

目の前で草なんか食べられた日には変わらざるをえなくなりますって!

ノルウェイの森事件

好調続きの成績を受けて世間の期待も高まりました。

翌年の福岡国際マラソン大会でなんと優勝してしまいます。モスクワオリンピックの代表にも内定し、次回のモスクワオリンピックでのメダルの獲得と騒がれました。

が、モスクワオリンピックは政治的な事情で出場できませんでした。

そんなことにもめげず、頑張り続けた結果、モスクワオリンピックの金メダリストを福岡国際マラソンで破って優勝してしまいます。

世間の期待も高まり、次のロサンゼルスオリンピックではメダル間違いなしとまで言われていた瀬古選手でしたが、アクシデントが発生してしまいます。

しくじり3つ目です。

ロスオリンピックに向けて、ノルウェーで合宿を行っていた時、

公園を走っていた瀬古選手は何かに見とれてしまいます。

公園で「日光浴をしていた全裸の女性」に見とれて転んでけがをしてしまったのです。

瀬古さん「しくじり先生」では、この事件を「ノルウェイの森事件」とまとめていました(笑)

瀬古フィーバー

そんな怪我のせいで、2年間もレースから遠ざかることになりましたが、復帰後猛特訓をし以前の瀬古選手のレベルまで戻してきました。

東京国際マラソン、福岡国際マラソンと連覇しすっかり人気者に。

瀬古フィーバーの到来」です。

このフィーバーの影響で余計なプレッシャーを感じまくり、ついには血尿が出るところまで精神的に追い詰められます。

これが影響してかメダル確実と期待されていたロサンゼルスオリンピックでは14位という結果に終わってしまいます。

瀬古さんは教訓として

「無理はしないで自分と向き合うことが大切。特別なことは何もせず普段通りにしてればいい」
と語っています。
オリンピックから帰国後、メダルを持ち帰れなかったことにバッシングを受けるのではないか思いながら日本に帰ってきましたが、全然バッシングをされなかったそうです。
それには理由があって、中村監督が瀬古選手のお見合い相手を募集していたから、人々の関心がそれていました。
その時のお見合い募集がきっかけで、数か月の婚活の末現在の奥様とご結婚されました。

ソウルオリンピック前

ロスオリンピック後、結婚をし私生活は順風満帆でした。

マラソンの方も国際大会で3連勝するなど絶好調です。

でもそんなときにまたもやアクシデントが。

4度目のしくじりです。

当時のライバ中山竹通を意識しすぎ、
大会3週間前の駅伝で左足腓骨を骨折してしまいます。

それでも、ケガが完治後の琵琶湖マラソンでライバルを破って優勝しソウルオリンピックの代表に選ばれました。

ですが、骨折の跡ということもあり、それまでの瀬古さんにとっては平凡なタイムでの優勝でした。

世間からは「なんで瀬古が代表なんだ」とバッシングを受け、

そのことがきっかっけとなって鬱になってしまいます。

ソウルオリンピック後

ソウルオリンピックはそんな中ライバルの中山選手(4位)にも勝てず、9位の結果に終わってしまいます。3度オリンピックに出場し、メダルの期待をされながらも一度もメダルを獲ることができなかった。

そんな落胆した瀬古さんに待っていたのは、

2歳になる息子さんからの手作り金メダルだったそうです。

「一生の金メダル」だそうです。

 

瀬古さんのマラソン人生の教訓

「無理はしないで自分と向き合うことが大切。特別なことは何もせず普段通りにしてればいい」

普段通りと違うことをしたときに限って人間って失敗するものですよね。

人間普段どおりが一番です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました